童夢へ
217/331

 車一台を収納する狭いガレージでの製作だから立■■■錐■の余地も無い︒石田や鴻池康禎も手伝いに来ていたから人手はそこそこあるのだが︑どうにも動きが取れないのと︑FRPの宿命だが︑その匂いとガラス繊維の痛さは慣れないものにはたまらなく不愉快で︑すぐさまここにもいづらくなってきて路頭に迷いそうになってきた︒ そんな時︑鈴鹿サーキットの社員だった江端良昭さんが︑私のやっていることに興味を持ってくれたのか単に不■■■憫だったのかは知らないが︑津市の材木加工場の空きスペースを探してきてくれた︒ 人と場所は何とかなったが︑相変わらず︑財布は空っぽな割に毎日のように大金が出ていく︒一番つらいのは︑私が現場にいて指揮しなければ何も進まないのでバイトすらもできないことだ︒半分は金策に走り回り半分はレーシングカー作りに没頭するという狂気のような日々が続いた︒ 当時︑みんなの寝床の確保のために鈴鹿市内に古びた一軒家を借りていたが︑毎夜中に薄汚れ疲れ果てた若者たちが集団で帰ってきて︑いつもインスタントラーメンを食っているのだから︑当然︑近所からは奇異の目で見られていた︒209MACRANSA

元のページ  ../index.html#217

このブックを見る