オリジナル・シ■シーに搭載できる軽量ボディを開発しようと計画していた︒ 計画だけは進めるが︑相変わらず資金の当ても場所もスタッフの目処も立っていない︒ そんな時︑TOJIRO|Ⅲの製作を手伝ってくれたホンダSFのメカニック氏の知り合いというアマチュア・ドライバーの石田保孝が︑私の作ったレーシングカーに乗りたいと言ってきたので︑製作を手伝うなら乗せてやると持ちかけた︒どの程度の力量かは全く知らなかったが︑その頃はレーシングカーを作ることが第一義であり︑ドライバーの良し悪しやチーム体制までは考えが及んでいなかった︒ 同時期︑第3回日本グランプを観戦していたロッドベンダースの連中から問い合わせがあったが︑お金はないがボディがほしいという厚かましい申し出だったので︑彼らにも製作を手伝うなら︑完成後︑自分たちで勝手に作るという条件で型を貸すと返事をした︒ 鈴鹿サーキットの近くのワールドホンダのガレージが借りられることになったので︑さっそく作業を開始したところ︑待ちかねたようにロッドベンダースの連中数人が若松孝太郎の運転するトラックの荷台に乗ってやってきた︒電車賃も惜しいという時代だった︒208
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