童夢へ
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ニュースを見ると︑抑えきれない欲望という点では自分のしてきたことも同類ではないのか?と思うこともあるほど衝動的で激情的であり︑つくづく︑一番好きなことがレーシングカーを作ることで良かったと︑これだけは天の配剤に感謝するしかない︒ しかし︑こういうやり方が創成期の思い出話ではなく︑童夢になってからも︑やり口としては基本的には変わるところはない︒ ルマンに初めて挑戦を始めた1979年の予算は︑コスワースDFVとギアボックスを4セット買って︑全く新規にルマンカーを2台開発して︑24時間の事前テストを行って︑1台をシルバーストンの1000kmレースにテスト参戦させて︑2台をルマンに参戦させて︑合計8000万円となっていた︒当時はもう会社の形をしていたし︑いくらなんでも手元に1000万円あるからといってスタートはできなかったから︑こんな無理やりの予算表をでっちあげて納得しようとしていたが︑誰ひとりとしてこんな予算で済むわけがないと思っていたし︑実際︑最終的には1億をはるかに超える赤字となった︵それにしても安くすんだものだ︶︒また︑2008年の童夢S102によるルマン参戦も当初の予算は7億円ほどだったが︑計206

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