童夢へ
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で気が気ではない︒納期も近づいてきたから痺■■れを切らせてMのガレージに見に行くと︑Mはくったくのない笑顔で立ち上がり﹁レーシングカーの製作が遅れちゃって﹂とフ■ーミュラの製作に余念がない︒どこを探してもバギーの欠片も見つからなかった︒ つまりMは︑最初からバギーなど作る気はなく︑もらった前金でさっさとフ■ーミュラの製作を開始していたという訳だ︒ おかげで大きく納期はずれ込み50台はキ■ンセルとなり︑私には返品できなかったエンジンの山と借金だけが残った︒ その後︑74年あたりからF1マシンを製作しF1に挑戦していたMだが︑結局︑一度も予選を通過できないまま資金不足で撤退してきた︒76年に富士で開催された日本で最初のF1レースを撤退の花道にしたかったようだが︑資金は底をついていて身動きのとれない状態に陥っていたようだ︒ そんな頃︑トミタオートの富田と食事をしていたら︑不義理を重ねてしばらく音信のなかったMからひさしぶりに電話がかかってきた︒いわく︑﹁ガソリン代もない︒あと10万円あれば202

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