カッコ良くないと思っていたのではないだろうか? だから私が物心ついた頃にはもう事業はしていなかったし︑チ■ーチル会というアマチュア画家のクラブの京都の幹事長として活躍し︑家にいる時は常にアトリエで絵を描いていた︒ 中学生の頃︑友達の家に遊びに行った時に︑その友達が自分の父親に対して︑﹁よう︑親父︑それ取ってくれ﹂とか気安く話しかけるのを見てびっくりしたことを覚えているが︑その後︑いろいろな家庭を見るにつけ︑我が家のほうがかなりおかしいことに気がついたものだ︒ だから私が父を嫌いだったかというと全くそうではなく︑かえって自慢の父親だった︒京都御所の寺町通がわの︑多分︑300〜400坪はあろうかと言う敷地に︑和風の母屋と︑もう一棟︑運転手さん一家の住む家が建っていて︑ジ■ングルのような庭には白いペンキ塗りのアトリエが建ち︑奥の方にはぼろぼろだがアパートが建っていて︑その横には大きな倉庫も建っていた︒ 庭の中央には大きな砂場と巨大なブランコがあり︑アパートの横にはビワの巨木がそそり立ち︑時季にはたわわに美味しいビワの実をつけていた︒12
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