童夢へ
197/331

や︑横山がS500を買った時にお世話になったホンダSFのメカニック氏が手伝いたいと言ってきたり︑場所もこのメカニック氏の実家の土間を借りられることになったり︑少しずつだが体裁が整ってきた︒ まず最大のチ■レンジであるFRPによるフルモノコックの製作に取り掛かったが︑生まれて初めて手にする発泡ウレタンやハニカム素材は︑それこそ見ているだけでも興奮してくるような先進素材で︑いわば夢のてんこ盛り状態だから︑まず︑売っているところや使い方から調べなくてはならない状況だし︑使ったら使ったで問題噴出で︑ほとんど毎日︑寝る間も惜しんで作業に没頭している割には進まない︒失敗の連続でどんどん予定は狂ってくる︒ それが日本グランプリの何■月前の話だったのか覚えていないが︑とにかく︑失敗が続くごとに焦りが乗倍して休むことができない︒退社後に手伝ってくれていたメカニック氏は︑その鬼気迫る私の行動とやつれ果てた風貌に﹁少し休んだ方がいいですよ﹂と本気で心配をしてくれていたほどだ︒ たまに自宅に戻って畳の上に倒れていると︑母が︑﹁みのる︑あんたの体︑厚みがなくて紙のようよ﹂と心配してステーキなんかを食べさせてくれた︒その頃の私は︑179189またもや地獄の日々cm 54 kg

元のページ  ../index.html#197

このブックを見る