童夢へ
190/331

 単なるノリだけで夜中に京都から鳥取砂丘の砂を取りに行ったことがある︒ビンに砂を詰めて帰ってくるだけの競走だが︑相手の砂と合致しないといけないのでそこらあたりの砂ではインチキがばれる︒お金も■かっているがそれよりも大きな名誉がかかっているから真剣勝負だ︒負けたことはないが︒ レース仲間が船橋サーキットから京都の自宅に電話をしてくる︒固定電話だから私がそれに出るということは私が京都にいることの証となるので︑電話を切った途端に表においてある車に飛び乗り船橋サーキットに向かう︒あとは全開で船橋に向かうだけだが︑確か4時間半で着くかどうかの勝負に10万円を■けていたと思う︒10万円は当時では大金だったし高速の無い時代4時間半は当時でもきつかった︒ 朝起きると︑家の前に停めてあるスカイラインGTのワイパーに﹁挑戦状﹂と書かれた封筒が挟まっている︒京都では有名な走り屋チームのリーダーからだ︒指定の時間に東山ドライブウェイに行くとチーム員が﹁お待ちしていました︒上で対向車は止めますのでご心配なく﹂とか言ってくる︒ 誘導されたスタートラインにはリーダーのベレットGTが待っていて直ちにスタートと182

元のページ  ../index.html#190

このブックを見る