童夢へ
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に行って長らく帰ってこないということもしばしばだったし︑たまに顔を合わすとお互いがどぎまぎするような関係だった︒ 小学生の終わり頃だろうか︑まだ新幹線もなかった時代︑長時間をかけて︑当時の私のパラダイスであった秋葉原まで出かけて︑ラジオ館あたりを■徊していた時︑万世橋を渡ってくる女性連れの父と出会った︒お互い一■しただけですれ違ったのち家に戻った時に︑父は母に︑﹁みのるは東京で会っても挨拶もしなかった﹂と文句を言い︑私は私で︑﹁親父は知らん顔した﹂と文句を言ったので︑母は﹁勝手にしなさい!﹂と呆れていたものの︑とっくに匙を投げていたようで︑最後まで︑父との関係についてはとやかく言うこともなく成り行き任せという感じだった︒ この距離感を醸成していった根本的な要因は︑父の憧れるライフスタイルにあるだろう︒﹁芸術に生きる﹂ことに憧れきっていた父にとって︑温かい一家団欒や︑帰宅したら足もとにまとわりつく子供や︑実業家のレッテルなどの生活感にあふれる環境は︑一般人にこそ似つかわしいものだが︑芸術家として生きる自分にとっては︑このような生活臭は似合わないとか︑11林 正治という父親

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