童夢へ
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﹁林 正治という父親﹂ 面倒なので︑京都生まれの京都育ちということになっているが︑実は私は広島生まれらしい︒私は1945年7月16日︵昭和20年︶生まれだからぎりぎり戦中派で﹁戦争を知らない子供たち﹂は歌えない︒しかし︑この日に広島で生まれたということは︑21日後に広島に投下される原爆の被害にあっているはずだが︑たまたま広島市のはずれの瀬野というところに疎開していたから助かったらしく︑母親はびっくりして直ちに京都に戻ったので私にはこのあたりの記憶は一切ない︒ 身■■■重の母と姉だけを広島に疎開させ父だけは京都に残り︑その父には愛人がいて︑その愛人には私と同じ歳の子供が宿っていたのに京都に残していたのだから︑何だか怪しげな気配を感じるが︑そのあたりの事情は子供には解らない︒ 父は画家にあこがれ続けその夢を成就させているが︑祖父の経営していた樹脂加工の会社を9林 正治という父親

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