童夢へ
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﹁骨董通りのE家﹂ ﹁カラス﹂を作った後は︑浮谷のレースの手伝いなどで東京に行く機会も増え︑どんどんレース界に知り合いが増えていった時期である︒特に︑今や伝説となった1965年7月18日に船橋サーキットで開催された﹁シリーズ1全日本自動車クラブ選手権大会﹂での生沢のS600と浮谷のTOYOTA S800の死闘の折は私も浮谷のピットマンとして手伝っていた︒その時︑同じピットにいたのが﹁ジ■ッキー﹂というバタ臭い顔の怖そうなおじさんで︑なんかやたら威張っているものだから︑いつの間にやら子分のようになっていたが︑それが鈴木亜久里のオヤジで雰囲気的には浮谷グループの親分というような存在だった︒ そんな時︑私の級友から﹁東京に来ているから会おう﹂と連絡があった︒指定の場所を訪ねるとEさんと言う人の自宅だった︒根津美術館の近くにある大きな家でかなり美人の3姉妹と両親が住んでいたが︑級友とは家どうしが古くからの付き合いで︑東京に来たら何■■時も泊まっ144

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