童夢へ
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 私は鮒子田の電話を︑﹁えっ!!﹂という気持ちで聞いたが︑当初は︑決して飛び上がって喜んだわけではなかった︒お互いにお金のないことは充分に承知していたから資金的なことも心配だったし︑何よりも時間がなさ過ぎた︒これが1965年5月30日のレースの何日前の話かは正確には覚えていないが︑たぶん︑1■月くらい前だったと思う︒ 日頃︑私がGTに改造しようと言っていたのはかなり広範囲に亘っており︑1■月くらいでできる内容ではなかったし︑第一︑全くの初体験なのだから時間の見積もりもできないので︑嬉しさよりも不安の方が何倍も大きかったからだ︒ また︑ずっとイメージしてきたのが︑ポンコツ同然のベース車を改造してそこそこ走れるようにするというプアな発想ばかりだったから︑ベース車が浮谷の新車であることも︑当時のS600の宝物のような価値を考えると素直に喜べない要素の一つでもあった︒ とりあえず浮谷と話をすることになったが︑案の定︑二人とも余分なお金などどこにもなく︑二人の財布をから雑巾のように絞っても6万円ほどが何とかなりそうという塩■■■梅■だったし︑時間はもっと差し迫っていた︒109カラス

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