たくのない性格で︑無名の京都の学生にも気軽に声をかけてきて︑私たちはたちまち意気投合して仲良くなった︒ そんな頃︑私たちが︑いつもは京都郊外の山道を走っていて︑周りには程よい練習コースがたくさんあるんだと話していたら︑ある日︑﹁じゃ︑走りに行こう﹂ということになり京都に来ることになった︒私は︑その日は参加していなかったが︑この時の出来事は何回も何回も鮒子田や横山から話を聞いたから︑その場にいたほど鮮明に覚えている︒ それはさておき︑鮒子田たちは一番得意としていた周山街道に案内した︒一番得意なコースに案内したのは︑もちろん我々にもプライドがあるから負けてはならじと走り込んだコースに案内したのだが︑浮谷の運転に興味津々の鮒子田が助手席に座りコースを指示することになり︑いつもの北山杉の製材所を過ぎたあたりからスタートした︒ 走行後の感想は︑﹁ガードレールのない谷側のクリッピング・ポイントを完全に脱輪したと思えるほど攻めるわ︑ほとんどブラインドのカーブを全開で突っ込んでいくわ︑もう乗っている間︑足の震えが止まらなかったよ﹂と本当に怖くて怖くて二度と乗りたくないという感じだった︒96
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