﹁鈴鹿詣で﹂ いままで二人三脚のように全く同じ道を歩んできた鮒子田と私だが︑この頃から︑レーシングカーを作りたい︑レーサーになりたいというように︑求める方向性の違いが顕著になってきた︒しかし︑私がいくらレーシングカーを作りたいと思ってもその糸口さえ見えない頃だったから︑もうその頃には明確にレーサーを目指して鈴鹿通いを始めていた鮒子田が︑家の車を持ち出してスポーツ走行に通うのに付き合うのがせめてもの慰みで︑毎週︑飽きもせず鈴鹿詣でを続けたものだ︒ この頃には︑鮒子田以外にもう一人レーサーを目指す級友︵横山靖史︶が現れて︑この3人で鈴鹿に通っていたが︑この二人は目立って速かったので︑いつしか﹁京都の3人組﹂と呼ばれて一目置かれるようになっていた︒ 毎週欠かさず鈴鹿サーキットに通っていると︑同じように東京方面から鈴鹿詣でをしに来る人たちと知り合いになっていく︒特に︑すでに雑誌などで名前を知っていた浮谷東次郎はくっ95鈴鹿詣で
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