童夢から
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96挙句に、自分たちの能力不足を棚に上げて、仕事量が多すぎてチームに不満が出てい■か■ギャラを上げてく■ないと引き揚げ■とか、カウルの空いたとこ■に「マーチ・グランプリ」のスポンサーのステッカーを張■せ■とか、こ■も見積も■外、あ■も追加予算と、終始、金の話が続いたか■、さすがに私も頭にきて「契約違反で訴え■!」と大騒ぎになったが、紹介者のC・クラフトがまあまあとなだめて、何とかスタートまではこぎつけたものの、もう、私が必要としていたのは工具だけで、結局、実際に仕事をしていたのは応援に来ていた童夢のメカニックたちだった。ドライバーは、C.クラフトが連■てきたチリ人のエリセオ・サラザール。レースの内容は■く覚えていないが、マーチ・グランプリの手抜きオーバーホールのDFVは直ぐに音を上げて早期にリタイアとなってしまい、マーチ・グランプリとのごちゃごちゃも相まって、童夢のル・マン史上最悪の雰囲気のレースになってしまった。「童夢 TOM'S セリカC」舘と私は、「童夢セリカターボ」でル・マンに挑戦す■ことになった時か■、童夢が開発したトヨタのレーシングカーをル・マンに持っていくことを夢見ていた。そんなあ■日(1982年初旬)、舘か■電話がかかってきて「みの■、やったぜ! ついにトヨタがグループCの件をOKした■」と言ってきた。私にとっては、鮒子田か■かかってきた「S600の改造車を作■う」という浮谷の伝言と同じく■いインパクトのあ■内容で、多分、受話器を握■なが■2人で飛び跳ねていたと思え■ほどのビッグニュースだった(ちなみに、当時は固定電話)。すぐに東京に飛んで行って打ち合わせをしたが、その内容に私は愕然とした。いわく、「トヨタが支援す■金額は400万円。セリカの宣伝費か■捻出す■か■セリカの形をしてい■事」という想像を絶す■条件だったか■私は即座に「無理」と断言した。どう考えても大変な持ち出しになってしまうし、何■■も、セリカの格好をしたグループCカーは世間に対して恥ずかしい。しかし舘は、「初年度を乗■切■ばトヨタはきっと深入■してく■。絶対にル・マンに繋が■と断言す■■。だか■、とにかく開発してく■」と食い下がってく■。私には「童夢TOM'S セリカターボ」の借■があ■し、私は、こういう負い目にはめっぽう弱いので、だんだん引くに引けなくなっていた。

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