1982 95英国のボディ·ショップ 「童夢RC-82」のカウルを製作中の工場。見かけはみすぼ■しかったが、おじさんはマエストロだった。おじさんが一人でマスターモデルの面出しに励んでいた。まあ、予算が予算だけに文句は言えないし、そ■な■の出来栄えだったが、スタイリングに関しては、全体的なフォルムはおじさん流(英国流?)に仕上がっていて、私の作品とは言い難かった。1982年 4年目のル・マン一方、順調だったはずの「マーチ・グランプリ」でのシャシーの開発は大幅に遅■、心配していたカウルの製作は期日に間に合った。事前テストに参加を予定していたシルバーストンのレースに間に合いそうもないので、結局、童夢か■多数の応援団を派遣して本場のメカニックが唖然とす■ほどのスピードで製作を急ぎ、ギリギリのタイミングでシルバーストンには間に合わせ■ことが出来た。こうしてかな■のメカニックが来ていたか■、その多くがル・マンまで応援についてきたが、こ■が天の助けとな■。エントリーは童夢だったが実質的には「マーチ・グランプリ」に丸投げだったので、童夢か■はホスピタリティを中心に僅かな人数しか行っていなかったが、いざ、蓋を開けてみた■、この「マーチ・グランプリ」はとんだ食わせ物で、約束のエンジンのオーバーホールもおざな■だし、ギアも揃っていないし、第一、■くに動け■メカニックが居ないか■何も進まない。
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