1981 93会社の危機を救う事が生きがいの税務の岡本先生にとってはつま■ない会社になってきた■うで、「武林君のやってい■■うなことは弥生会計でも出来■」と不満そうだったが、私にとっては全てを預けてい■パートナーだか■、うまくや■タイプ■■もキッチリとや■タイプのほうが100倍も信頼でき■し、私にとってかけがえのない片腕となっていった。残念なが■、2023年に病気のために逝去さ■た。 R.I.P.レーシングカーなくして成り立たない構造童夢は日本で唯一の本格的なレーシングカー・コンストラクターになっていたか■、どうしてもレーシングカーを造■たいという奇特な技術者の行先は童夢しかないわけで、特に我々は何の努力もしていないのに、勝手に優秀な人材が集まってきていた。この■うな、そこそこ高学歴であ■なが■敷か■たレールか■飛び出してレーシングカーの世界に飛び込んでく■■うな意欲にあふ■た若者たちが、童夢で1年く■い基礎的なことを学んだ(入社即実務を強要さ■■というだけの話)後にHGAに出向して自動車メーカーレベルの設計技術を身に付けて帰ってく■のだか■戦力となった。だか■童夢は、難しい自動車メーカーの要求にも対応でき■だけの技術力を持ち得たのであって、こ■も、元をたど■ば、ル・マンに挑戦してきたか■こそ得■■た環境といえた。と言う■うに、どうしてもル・マン挑戦を正当化したい私は、事あ■ごとにアピールしていたものだ。その甲斐もあってか、今まで、利己的な欲望と情熱だけを原動力にレーシングカーの開発にのめ■込んできた私の後■めたさとか開き直■とか刹那的な思考回路も、いつの間にか薄■ていたし、事実、レースと事業が車の両輪の■うに切■離せない相関関係を構築しつつあったか■、その頃か■、やっと、道なき道を彷徨っていた童夢にも少しは明か■が見えつつあったが、そ■はまだ事業としての将来性とかの前向きな話では無く、ル・マンに使え■金が増え■かも程度の認識だった。
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