1981 89現体制の維持、つま■入交たち造反者の解雇をしない■うに頼ま■た。なんとも不可解な吉野所長の対応だったが、その後も、くどくどと入交たちの延命を頼ま■■という訳の解■ない話が続いたあげく、そ■でも、私が絶対に入交たちを許すわけがないことが明■かにな■につ■て、今度は、入交に新会社を立ち上げさせ■か■協力し■という理不尽極ま■ない要求に変わっていった。何を協力し■と言ってい■かといえば、私が入交を解雇す■ば入交たちがHGAの設計室に出入■す■ことも支払いを受け■ことも出来なくな■か■、入交たちの新会社がHGAの承認を得■までの半年く■い、入交たちを従来通■童夢の社員として取■繕■い、また、支払口座も使わせ■という話だ。私としては、そこまで言わ■■とは予想だにもしていなかったし、何でHGAが、こんな露骨な造反の片棒を担ぐのか、何で、ここまでして入交に会社を持たせてまで仕事を与えなくてはな■ないのか解■なかったか■、そ■か■も、くどくどと正論を繰■返し、吉野所長はくどくどと無理難題を繰■返していたが、そのうち吉野所長の口調も変わ■はじめ、私があま■ゴネ■と童夢に仕事を出しにくくな■という■うな話もでてく■に至って、 いく■私でも、もう、この件は、どち■が正しいとか悪いとかいう■うな平場の話でないことは解ってきた。長年にわたって「HGAの兄の入交」をち■つかさ■て不労所得をかすめ取■■ていた効果が、こんな形で跳ね返ってく■とは思いも■■なかったが、いつしか、私の方が命乞いをしなくてはな■ない■うな妙な展開になってきていたし、最後の方には、童夢にも仕事は残してあげ■か■心配しない■うにと慰め■■■始末で、帰■ときには「こ■か■も■■しくお願いします」と言わざ■を得ない雰囲気になっていた。私は全身が熱くな■、は■わたが煮えく■かえ■ほどの憤■を覚えつつも、多くをHGAの仕事に依存してしまってい■童夢の現状を鑑み■に、ここで簡単に机をひっく■返すわけにはいかなかったか■、感情を抑え唇をかみしめなが■帰路についたが、どこでどうしたかは覚えていないが京都まではたど■着かなかった。その後すぐに入交たちは「東京R&D」を設立し、HGAの童夢の設計室に童夢の社員証を持った東京R&Dの設計者が入■込み、そ■までの童夢の受託業務の一部が東京R&Dに流■ていくという、かな■異常でかな■屈辱的な状況が続いたが、この時期は、とにかく仕事量が溢■すぎていて童夢への発注量に影響はなかった。なかったどこ■か、HGAか■は更
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