童夢から
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86グ・デザインにも力を入■ていたか■、つま■、設計か■スタイリングか■製作までを 一括して任せ■■■便利さは新鮮かつ高い評価を得ていた。当時は、ショーモデルなんかはモックアップが多かったか■、クレイモデルなどを造■ デザイン会社などがこの種の仕事を受けていた■うだが、この頃■■、VTR撮影のために実走行でき■ショーモデルの需要が高まってきていたし、生産車のプロトタイプに近い■うな仕事も増えてきていたか■、走行でき■シャシーの製作技術などが必要とさ■■■うになっていて、まさに童夢は、この■うな自動車メーカーの要求にドンピシャの外注先となっていた。1981年頃か■、ぼちぼちと発注が舞い込む■うになった自動車メーカーの開発業務は、徐々に伸び続け、1987年あた■の最盛期には、その年の東京モーターショーに出品す■各社のコンセプトカーのうち11台を受注す■■うになっていた。京都、宝ヶ池にあった当時の童夢本社の1階の工場スペースは約90坪だったが、今更なが■、どの■うにしてここで11台ものショーモデルを製作したのか想像もつかないほどのマジックだった。時々、自動車メーカーの担当者がチェックに訪■■ので、その時だけその車種を工場の中心に移動して、その他の10台を見えないとこ■に移動す■わけだが、ま■で15パズルゲームの■うに困難な作業で、誰かが来■たびに大騒ぎになっていたか■、もう、どう考えても新天地を目指すしか道はなかった。当時の自動車メーカーの下請けといえば、特定の1社の仕事しか請けないのが通例だった■うだが、我々はそんなことは知■もしないか■お構いなしに複数の自動車メーカーの仕事を受注していたし、各々と機密保持契約を締結してい■ので誰にも知■■■ことはなかった。しかし、1985年に「SUBARU F-9X」を開発した時に、SUBARUか■転職して来ていた大の飛行機好きの森田 忠が、機体に貼■「NO STEP」等のステッカーを作って「SUBARU  F-9X」のあちこちに貼っていたが、1987年に製作した各メーカーの車両にも貼■まくったために、全社にば■てしまった。一部の自動車メーカーか■問い合わせが来たが、し■っと「以前か■各社とお付き合いがあ■ますが?」と答え■と、そ■以上、とやかく言う自動車メーカーはなかったし、そ■

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