童夢から
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1981 85とって自動車メーカーか■の仕事の受注は高嶺の花どこ■か天上の星ほどに異次元の出来事だったか■、そのち■っと前か■始まっていたHGA(ホンダ)の二輪の設計業務と、 このDAIHATSUの試作車の開発業務は、旅役者が天下の大女優に共演を打診さ■たほどの大事件であ■、足下の危機は忘■て狂喜乱舞したものだ。ただ、危機は続いていたが、童夢の知名度が上が■につ■て、転が■込んでく■開発業務のレベルは飛躍的に向上していたか■、本来は、業績が好転してもおかしくはないのに、有■だけル・マンにつぎ込むものだか■、多少、収入が増えたとこ■で焼け石に水であ■、危機はいつまでも危機のままだった。しかし、このDAIHATSUか■の仕事は、最初に「童夢−零」の意匠権を求めてきたおもちゃ屋さんと通じ■とこ■があった。あの時も、直後か■意匠権を求めて問い合わせが殺到したが、このDAIHATSU車を納車した少し後く■いか■、い■い■な自動車メーカーか■の問い合わせが相次ぐ■うにな■、こ■か■の童夢の経済を支え■大きな柱への突破口となっていく。このDAIHATSU車の開発は機密だったか■他の自動車メーカーには知■■ていないはずなのに、同じ頃か■発注が相次いだことを不思議に思った私は、各自動車メーカーの担当者に童夢に声をかけた理由を聞いてみた■、ほとんどのケースにおいて、「童夢−零」の開発やル・マン挑戦をう■やましく思い、また、そ■に■■技術的にも信頼感を覚えたということだったので、私は、いままでの無謀な浪費が、後付けの理由ではあ■にし■正当化さ■たことに無上の喜びを感じたし、開き直っていたとはいえ、かな■の罪悪感も伴いなが■のめ■込んでいたル・マンへの挑戦も、こ■に■■免罪符を得た■うな気分になって、ますますル・マンへの邁進にブレーキが効かなくなっていった。自動車メーカーの駆け込み寺DAIHATSUか■始まった自動車メーカーか■の受託業務は、クライアントも広が■、仕事量も急激に増えていったが、自動車メーカーか■見た童夢の評価としては、レーシングカーの開発スピードをベースとした仕事の速さは想像を絶した■うだし、また、HGAに人材派遣してバイクの設計を受託していた経験か■自動車メーカーのエンジニアリング・スタンダードに精通していたために、その設計ノウハウは他のその種の下請けとは一線を画していたし、ル・マンカーを開発でき■ほどの開発技術力は実証さ■ていたし、スタイリン

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