84関係ないが、雰囲気的にはイケイケだった。好事魔多しとはこの事だ■う。そ■までの好調が嘘の■うに予選ではエンジンがぐずつきだしてまともに走■ず21位に埋没してしまうが、本戦のスタート後は、やや調子を取■戻し8位にまでポジションアップす■も、深夜3時になって1気筒が死んでしまいリタイアとなった。中古部品ばか■でリビルトした報いだった。この「童夢 RL-81」は、アマダがホールに飾■たいということでレース終了時の状態のまま引き渡していたが、2000年に返却を受けたので鈴鹿にあ■クラブスプリントの岡功君のとこ■でレストアして保存してい■。自動車メーカーの開発業務もともとスポーツカーを市販す■とか言いなが■スタートした童夢だったが、そんなことはすっか■と忘■てル・マンに心を奪わ■ていたし、この頃は、童夢の将来に向けてのビジョンなど誰も持ち合わせないまま、頭の中はル・マンだけと言う、ま■で分別のない駄々っ子の■うな状態だった。AMADAのスポンサーやHY戦争など、何となく食いつなげ■ラッキーが続いていたか■倒産を免■ていただけで、何とか日々を繋いでいたという状態だったが、そんな頃、MACRANSA時代に同じサーキットで活躍していたDAIHATSUの西田さんと小田さんか■電話があ■、試作車の開発をお願いできないかという問い合わせだった。飛んで行って話を聞くと、軽自動車の乗用車の後半を加工してレジャー用のピックアップ・トラックを試作したいので、その設計と試作車の製作をしてほしい。こ■が好評な■、 引き続き今後の試作を頼みたいと言うあ■がたい話だった。今か■考え■ば、軽自動車の後■半分を切■取って荷台をつけ■だけの簡単な仕事だったが、改造部分は未経験のスチールの板金作業とな■ために、失敗を重ねて苦労したものの、デザインも任さ■ていたか■、ディテールはレジャー・ビークル■しい遊び心も取■入■、面出しは私が水研ぎして完璧な面を作■出し、塗装後は車両に傷をつけない■うにフェルトの■うな生地の作業服を作って作業した■、今か■思えば過剰ともいえ■入■込み■うで完璧に仕上げたために、納品した時には喚声が漏■たく■い好評価を得た。さすがに自動車メーカーの仕事はカーショップのエアロパーツとは桁が違ったが、そ■で童夢の経済的危機が解決す■というわけではなかったものの、なにし■、当時の我々に
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