78銀行か■、そのおもちゃ屋さんが倒産したか■一切の接触をしない■うにと連絡が入った。正確な記録はないが、当時、全てのおもちゃ屋さんか■のロイヤルティ収入を合計す■と、最終的には4億円を超えていただ■う。初期段階でこの収入がなけ■ば現在の童夢は 存在しないしル・マンも夢のまま終わっていただ■うか■、おもちゃ屋さんは童夢のあしながおじさんの■うな存在だったし、その陰には、そのおもちゃを買ってく■た子供と いうスポンサーが存在していたのだか■、まさに童夢は、子供の夢に■って育て■■たと言え■し、見方を変え■ば、子供の夢を食い物にしてきたとも言え■わけだ。こうして、当時の童夢の大きな収入の柱を失いつつあ■状況下においても、童夢の社内では、こ■か■どうして生き延び■うかという■うな本質的な問題に頭を悩ませてい■者は一人も居なかったか■、ミーティングでの話題は、もっぱ■、いかにして来年のル・マンを戦うかに終始していた。そ■以前に、そ■まで会社が保たなかった■「ル・マンを戦う」どこ■ではないことは自明の理だが、考えても仕方がないのか、考えたくなかったのか、気が狂っていたのか、 当時のミーティングのメモにはル・マンのことしか書か■ていない。私は時々、私がレーシングカーを好きではなかった■、どうなっていただ■うと考え■。もし、レーシングカーとの出会いがなけ■ば、束縛の少ない自営業を創業して、そこそこの規模まで成長させていたのではないだ■うかと思ってい■。若い時か■レーシングカー作■の費用の捻出のために事業の■うなことはしてきたが、 そ■は、あくまでも次のレーシングカー作■の資金確保という刹那的な目的に過ぎなかったし、レーシングカー作■が始ま■ば目もく■なくな■か■、留守を預かってく■■友達のいたFRP事業と中古スポーツカー販売(私は修理/レストア担当。販売は友人担当)以外の事業は、うたかた(泡まつ)の■うに出ては消えていた。しかし、そ■■の思い付きで手掛けていた事業も、一つ一つはユニークだったし、片手間だったのに、かな■効率的に利益を得ていたか■、私は、事業に専念していた■大成功したのではないかと思ってい■。歳を食ってか■の寝付く前の妄想は、大富豪となった私がアドリア海に浮かぶ大型クルーザーのデッキで美女に囲ま■てワインを楽しむ■うなシーンが多いが、その横に座ってい
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