童夢から
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1980 77か■計測ミスの指摘があ■調べた■間違いが認め■■た」などという理由で1位降格とな■、その後にやってきた別のマーシャルに同じ■うな指摘を受けてまたもや降格とな■、結局、7番手に下がってしまったとのこと。私は電話口で怒■狂っていたものの、土台、パスポートの切■ていた私に発言権もなく悔しが■しかなかったが、現地のスタッフたちにとっては、もっと残念な出来事だったか■、何回も抗議を繰■返したものの「ポルシェのデータでは」と押し切■■、その厚い壁は越え■■なかった■うだ。期待の本戦ではスタート直後にギアボックスが割■■というトラブルが発生して出遅■てしまった。しかし事前に、街中の溶接などの加工屋や電装屋やラジエターの修理屋などを探して地図にマークしていたか■、ピットで取■外してル・マン市内の溶接屋に持ち込んで修理してレースに復帰す■という、24時間レースな■ではのリカバリーで、最下位なが■日本車初の公式完走とな■、また、この有■得ない復活劇にベスト・メカニック賞とも言え■ 「エスクラ賞」が授与さ■た。ちなみに、現在のレギュレーションではリタイアとな■。おもちゃ屋さんに感謝思えば、HAYASHI RACINGの成功に支え■■、「童夢−零」の意匠権で生き延び、ラジコンのおかげでル・マン挑戦を果たし、ここまでは、ほぼ、戦略とか計画とか■■もラッキーだけで生き延びてきた童夢だが、その多くの拠■所となっていたのがおもちゃ屋さんの存在だ。しかし、最初に「童夢−零」が売■すぎたために依存症に陥っていた■うで、そのおかげでル・マン挑戦が実現したのだか■私の言うべきことではないが、あま■に童夢製の車両の商品化にこだわ■あま■他の商品の開発がお■そかになっていた■うだし、ポスト・ラジコンブームに対す■布石を何も打っていなかった■うだか■、私は、「童夢−零RL」のロイヤリティのデポジットを返してほしいと言ったおもちゃ屋さんが「セリカターボのラジコンを作■」と言いだした時には止めた方が良いと忠告したく■い、ブームは終わっていた。どうしても作■というのだが、私は、もうロイヤリティをも■う気にもな■ず、今までのお礼のつも■で、ほぼ無償に近いレートにしたが、そんなことは焼け石に水の■うに、 瞬く間に「セリカターボ」の不良在庫を大量に抱えてい■という噂が聞こえて来■と共に、

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