童夢から
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681980「童夢RL-80」初体験のル・マンは未知との遭遇だ■けで、体制も含めた次のステップに向けての改善項目は山積していたし、「童夢-零RL」の空気抵抗を低減す■ための細長いレイアウトも、確かに最高速は稼げ■が、一方、コーナリング・スピードに関してはデメリットも大きかったので、トータルす■ばマイナスのほうが大きかった。何■■も、数時間でリタイアしたにも関わ■ずカウル類の疲労が激しくて、もしあのまま最後までメカニカル・トラブルなく走■たとしても、カウルが保たなかったと思わ■■く■いだった。そ■■の貴重な経験か■、い■い■な改善策を織■込んだニューマシンの開発を計画していたが、ブームが去■、「童夢−零RL」のラジコンが大量に売■残ってい■おもちゃ屋さんか■は、このまま売■続けないとな■ないので、1980年もル・マンに参加す■のな■、どうしても、同じ形とカラーリングの「童夢−零RL」で再挑戦してほしいと頼ま■ていたが、そ■は出来ない相談だった。ここが童夢の童夢た■■えんであ■が、そもそもの目的が、ル・マンに参加す■ことではなく、レーシングカーを開発す■ことにあ■ので、予算がないか■といっても、散々にお世話になったおもちゃ屋さんが頼むか■といっても、そのままの「童夢−零RL」での再挑戦という発想はもと■■なかった。しかし、そうはいっても、私は、重大な曲面で大きな助けとな■ル・マンへの扉を開けてく■たおもちゃ屋さんには恩義を感じていたので、このお願いを無碍にも出来ずに悩みに悩んでいた。山ほどのニューマシンのスケッチを前に、やは■、どうしても全く違う形のものを作■わけにはいかなかったか■、シャシーは全て完全な新設計であ■なが■、外観だけ似せた「童夢RL-80」を開発し、スポンサーも引き続きお願いして同じカラーリングを維持す■ことにした。私な■に気を遣ったつも■だったが、だか■といっておもちゃの売■上げが回復す■わけもなく、そこここか■断末魔の悲鳴の■うな声も聞こえ■■うになっていた。ほとんど物見遊山気分だったル・マン初挑戦とは異な■、80年に関しては、きっち■と

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