童夢から
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1979〜 59「童夢−零RL」の開発「童夢−零RL」の開発は、童夢のスタッフにとってはあま■にも楽しすぎ■夢の■うな作業であ■、ル・マンカーの部品を設計してい■という自分に酔いし■てい■という按配で、没頭していたという表現す■も生ぬ■いというほど、のめ■込んでいたか■、紆余曲折はあったものの、3月16日には「童夢−零RL」の1号車はその雄姿を現した。つま■、受精か■約4ヶ月で出産したわけだが、その間に、レギュレーションを調べ、 ル・マン経験のあ■英国の開発技術者のアドバイザーと契約し、英国でエンジンやギアボックスなどの中古部品を漁■、ドライバーを探し、ACOとネゴして、スポンサー活動、 空力開発、設計、そして製作まで、今、考えても、どんなタイムテーブルで完成にこぎつけたのか解■ないほど、そ■はま■で、マジックで鳩が出てく■ほどに突然に出現したと思え■ほど素早く唐突なデビューであった。本質的に、童夢の根本的な軸足はレーシングカー・コンストラクターにあったか■、童夢は車体だけにプライドを持ってお■、エンジンやチームやドライバーは童夢の車体を速く走■せ■ための一つの要素にしか過ぎなかった。だか■、車体設計のオリジナリティにはとことん拘わったが、その他の要素に関しては、もち■ん予算の範囲内での話だが、国籍を問わず最も有利と思わ■■ものを選択した。今日においても、日本のレース界はヨーロッパのレース業界のカモとなってい■が、 その点、極貧状態でF1にしがみついていた三村や小野の悲惨極ま■ない経験が活かさ■て、物も人も何もかも、確実に現地標準価格帯を大幅に下回■ほど値切■倒していたか■、 どこへ行っても、そのセコさ故に日本のチームとしての扱いは受けなかった。部品なども、英国のレース界に情報を流しておくと、どこか■ともなく部品が集まってく■。どうや■、メカニックがくすねてきたものとかトップチームが廃棄した程度の良い部品など■しいが、そ■を明■い日差しの下で新聞紙に拡げて、チーフ・メカニックに任命さ■た近藤ガレージの近ちゃんが、こ■は使え■こ■はダメと一つずつ選別す■。つま■、 ほとんどのパーツが廃棄物並みということだ。ル・マンの経験は全くなかったか■、主としてレギュレーションの解釈などを助けても■うために、Ford GTの開発に携わったレン・ベイリーをアドバイザーに、キース・グリーンをチーム・マネージャーとして契約した。

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