58そ■でも、その予算計画書では、そ■■の多くは根拠もないのにタダで借■■■■ことになっていたし、全ての部品は格安の中古品が入手でき■前提になっていたし、ドライバーはみんな持ち込みスポンサー付きと想定していた。つま■、そこにあ■のは単な■幻想だけだったが、我々は、「■し! こ■で行こう」と立ち上がったものだ。当時の開発予算そ■にしても、■くぞそんな金額で出来たものだと不思議に思わ■■だ■うが、当時の開発予算というものには、当然のごとく、人件費や設備費や光熱費などのランニングコストは計上さ■ていないか■、つま■、レーシングカーを開発す■のに必要な予算というのは、エンジンやギアボックスやブレーキなどの主要パーツの購入費以外には、モノコックを作■ためのアルミ板代、ボディを作■ためのガラス繊維と樹脂代などが主た■出費であ■、現在のレーシングカー開発に必要な、工数費(人件費)や、CADやNCなどの償却費や、風洞実験の予算や、カーボン部品などの高額な製作費などが多くを占め■環境とは隔世の感があ■。そ■にしても有■得ない予算計画だった。「小野 昌朗」の加入全く、時間も人手も足■なかったので、その頃、KOJIMA F1(京都)の手伝いをしていた小野昌朗が契約切■ということを聞いて誘ったとこ■、童夢に移籍す■ことになった。そ■までも京都に住んでいたので引越しをす■必要もなく、ただちに童夢にやってきた。私や三村は、最初の頃か■レーシングカーを作■ための資金集めに苦労し続けていたが、小野はスタートのEVA CARS■■雇わ■設計者として報酬をも■ってコンストラクターの間を渡■歩いていたか■、リスクを負わずにレーシングカー造■を楽しんできたという日本では稀有な存在だ。しかし、一方で、三村のMAKI F1の時代には、あま■の資金不足に食うにも困■生活を強い■■、川で釣った魚や庭を掘■起こして出てきた球根で食いつないだ■の想像を絶す■■うなサバイバル状態を経験していた■しいか■、そのあた■の修羅場も体験してお■、この、極貧ル・マン計画にとっては、またとない適任者と言えた。
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