童夢から
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1979〜 57この■うに、日本の童夢本社はル・マンで大いに盛■上がっていたか■、グリーンの「童夢 P-2」をアメリカに送■込んでか■は、実質的には私一人が金古の相手をしていた。 LAオートショーでの好評に一人燃え上がっていた金古は、急に日本サイドのレスポンスが悪くな■、いつまでも必要な書類が届かないなど、かな■イライラが募っていたために、毎日の■うにTELEXで「ル・マンにかまけてい■状況ではない」とか「真剣に取■組め」等の文句を送■続けていた。私の、の■■く■■とした対応に苛立ちが募った金古は、たま■かねて、日本のスタッフに活を入■■ために童夢にやってきたが、童夢全体がル・マンに狂ってい■様子を目のあた■にして、最初は、辺■かまわず怒■をぶちまけていたが、何日かの滞在中に、多分、何を言っても無駄だ■うし、とにかく、この嵐をや■過ごしてか■でないと何も動かないと悟ったのだ■う、「俺もDOME USAの社長として見ておく必要があ■か■ル・マンに行く」と言い残して帰っていった。まともじゃないもち■ん、ゼロか■スタートしてル・マンカーを完成させてレースを戦って帰ってく■のに6,000万円が全く不足であ■ことは百も承知していた。曲が■な■にも会社だったか■、そ■が例え絵に描いた餅であ■うと予算と資金繰■を明確にしておかなけ■ばな■ないか■、この6,000万円に加えて2,000万円のスポンサーが獲得でき■と仮定して計8,000万円で予算をでっち上げた。私は社内の会議で次の■うな条件を提示したが、いく■金のことには無頓着なレース界の猛者たちもこ■にはずっこけた。①1979年の参加。 ②総合優勝を目指す。 ③初出場初優勝のチャンスは一度しかないか■確率を上げ■ために2カーエントリーとす■。 ④事前に充分なテストを実施す■。 ⑤経験豊富なドライバーを起用す■。などであったが、こ■■の全ての要件を詰め込んで完成した計8,000万円の予算計画書は、でっち上げなどという代物ではなく、完全に詐欺師の儲け話の■うな噓八百だった。総合優勝を目指す以上はCOSWORTH DFVや大型のギアボックスが何機か必要だし、 充分なテストのためには長時間サーキットを占有す■必要があ■し、充分なピット設備も必要だし、現地に前進基地も必要だし、遠征費用も莫大だし、ドライバーのギャラも必要だし、計画を煮詰め■ば煮詰め■ほど予算は非現実的に膨張していく。

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