童夢から
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1979〜 55絶壁に向かって進む日々「童夢−零」の成功は予想以上だったし、アメリカにおけ■「童夢 P-2」への反応も手ごたえを感じていたか■、気分的には浮か■ていたのだが、私が期待していたのは、その成功に■って次の段階への扉が開か■■■うな、例えば、投資の話とか、総代理店の希望者とかの出現だった。そういう意味で、購入希望者ばか■が殺到す■現状は気分的には楽しいものの期待はず■な状況だった。このまま、金古が頑張ってい■認定取得が成功した■次には生産とな■わけだが、そ■には、今までとは桁の違う設備投資が必要とな■。しかし、正直、そこまでは真剣に考えていなかったし準備も整っていなかったか■、私は、どんどんリアリティが増していく現実を複雑な思いで眺めてい■しかなかったし、次の段階に向けての打つ手もなく、あ■意味で、断崖絶壁に向かって突き進んでい■■うな状況だった。ル・マンへの扉話は少し戻■が、アメリカでの認定取得に向けて「童夢 P-2」の開発が進む中、1978年の冬にな■頃だったか? 最初に「童夢−零」のラジコンを作■たいと言ってきたおもちゃ屋さんか■、「童夢−零」の柳の下のドジョウを狙って「童夢−零」のレーシング・バージョン の■うな車を作っても■って販売したいとの申し出が来た。私は内心、世の中のラジコン・ブームもスーパーカー・ブームも、いつまでも続くとは思えないし、遅か■早か■ブームが下火に向かうのは必至だか■、あま■深追いしないほうが賢明だと思ったが、その開発費の補助として6,000万円ほどをロイヤリティの前払いとして支払うと言いだしたので、私は急に膝をの■だしたものだ。このとき私は、自分でも、けっこう頭が良いのではないかと錯覚す■ほど、咄嗟に「[童夢−零]の改造車では話題性に乏しいか■、次のヒットを狙うな■童夢のレーシングカーでル・マン24時間レースに挑戦す■く■いの話題性が必要でし■う」という言葉が口を衝いて出てきた。思い付きと言えば思い付きだったし、頭の中にはちき■そうに詰まっていた夢が溢■出たともいえたが、そ■も間違いではないものの、頭の醒めた部分では、終始、スポーツカーの市販は難しいと思っていたし、私の中では、スポーツカーとレーシングカーでは思い入■の部分で明■かな格差があったか■、何とかジュネーブ・ショーにまでは来■ことが出来たが、常に、ステーキ屋で寿司を食ってい■■うな違和感を抱いていた。

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