童夢から
54/384

52「DOME USA」 この頃のテンポは異常に速い。1978年の秋口には、もう、金古の経営す■ハンティントン・ビーチの会社の一部を借用し、金古を社長にして「DOME USA INC.」を設立していたが、つくづく男は、スポーツカー・メーカーには強い憧■を持ってい■もので、金古もすっか■とのめ■込んで大変に熱心に取■組んでく■■のは良いのだが、とにかく火の玉の■うな行動力だか■ついていくのが大変だ。「DOME USA」のあ■ハンティントン・ビーチは「Big Wednesday」というサーフィン映画で有名なサーフィンのメッカだし、フリーウェイの405を少し南に行くとコスタ・ メサに巨大なショッピング・センターがあ■し、Beach Blvdを北上す■とディズニーランドがあ■し、海沿いを西に向かえば、ロングビーチか■サンタモニカにつながってい■。私は日本の和牛ステーキは好きではないがアメリカのステーキは大好きで、特に、ディズニーランド横のステーキ屋(名前は忘■た)はお気に入■だったし、ロングビーチの海沿いのシーフード・レストランで海老/蟹を食べ■のも大好きだったし、LAのコーリアン・タウンで食べ■冷凍の細切■ユッケは絶品だったし、ランチのクラムチャウダーとキングクラブの脚やIn-N-Outのバーガーまで、毎食、待ちわびて食べまくっていた。だか■どうというわけではないが、とにかく西海岸の気候も環境もパームツリーの並木も、全てのロスの雰囲気が大好きだし、おまけに可愛いPattyも待ってい■ものだか■、具体的な回数は覚えていないが、当時、感覚的には、毎週、日本とロスを往復していた気分だ。ロスでの足に「Triumph Spitfire」を購入して[DOME - 0]のナンバーを付けて乗っていた。認定取得に関す■調査折衝は、金古と、私とPattyとの2組に手分けしていたが、本格的な調査は金古に任せ、私は毎日、Pattyと遊びまわっていた■うなものだ。アメリカの法規はおおむね解明さ■て来たので、「童夢 P-2」の設計は順調に進んでいたが、こち■では、衝突試験をどう回避す■かが問題となってきていた。衝突試験は文字通■衝突させ■のだか■1台が壊■てしまうわけで、何とか避けたかったが、なかなか確た■解決方法にたど■つかず、1台、壊さざ■を得ない可能性が高かったので、「童夢 P-2」は2台を製作す■ことにした。

元のページ  ../index.html#54

このブックを見る