1979 47を取■■なが■も、1980年5月になって、「童夢−零」や宝ヶ池の不動産や各種工業所有権なども含めて、全ての新生「童夢」への移管が終了した。そ■■の清算はHAYASHI RACINGの主導で進め■■たが、ロイヤリティ収入の上納金などがあったものの、到底、そ■までの童夢に関す■HAYASHI RACINGの負担が全て清算できたわけではなく、特に日常的な経費などは計算のし■うもなかったか■、トータルす■ば、かな■のマイナスが生じたと思うが、「童夢−零」の所有権の移転なども含め、新生「童夢」の負担にな■ない■うな無理のない清算を心掛けてく■たか■再出発が出来た■うなもので、大変に感謝してい■。いず■にしても、HAYASHI RACINGの協力なくして何も始まっていないし、もち■ん童夢も存在していなかっただ■うし、トータルの収支においても負担をかけてい■し、童夢の生みの親であ■ことは間違いのない事実だか■、感謝の気持ちを忘■たことはない。残念なことに、その後、「HAYASHI RACING」は身売■して、事実上、その幕を閉じた。 その辺■の事情についても、そ■か■の推移についても良く知■ないが、現在は、発祥の地に将一が代表者とな■「HAYASHI RACING」を再建して、根強い愛好家のために「HAYASHI STREET WHEEL」を売■続けてい■。童夢といえば、当面の危機は免■たものの、そこには何の希望もなかったし、借金を抱え込んだし、単な■消滅の危機の先送■に過ぎなかった。「岡本先生」実は、私のバックには策士がついていた。策士といっても、方向性を決め■のも戦略を考え■のも外部との交渉も全て私の役割なのだが、その、ま■で出鱈目な行動を、裏で、財務/税務面で支え続けてく■ていたのが岡本紘一先生だった。ここで、童夢が曲が■な■にでもつぶ■ずに存在していた黒幕というか縁の下の力持ちの岡本先生を紹介しておこう。岡本先生は税務の先生で、私が童夢を創業す■前の放蕩時代のまだ前の「MACRANSA」の時代か■付き合いが始まってい■。当初は、テニスとかヨットとか海へ行った■山へ行った■の健全な付き合いだったが、私が夜の街で遊びだした頃か■は、花街に精通していた岡本先生が不健全方面の指南役となっていった。しかし、そんな中でも、私の友達が経営上の問題や税務関係の問題などで困ってい■時に、思いもつかない■うな手法で解決してあげてい■のを見ていたか■、当然、私も
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