46そんな、あやふやな関係が1年弱続いていた頃、1980年を迎えた頃だと思うが、急速にHAYASHI RACINGの経営状況が悪化して、当時は、まだHAYASHI RACINGの所有であった宝ヶ池の童夢社屋の処分まで俎上に上が■■うになっていた。売却さ■てしまうと童夢には何も残■なくな■ので、その時の私の選択肢としては、全て放棄す■か、「童夢−零」や宝ヶ池の社屋を買い取って童夢を継続させ■かの二つに一つだったが、もち■ん原資はない。このあた■、ち■っと複雑なのでざっく■と流したいが、HAYASHI RACINGと心中できない私は童夢の温存を目指さざ■を得ないし、HAYASHI RACINGの経営サイドは童夢の温存どこ■か、と■あえず宝ヶ池の社屋などを売却して急場をしのぎたいという、そ■ぞ■の思惑の中でのせめぎ合いが続いていた。しかし、現実の世界では最悪のシナリオが進行していた。HAYASHI RACINGの経営悪化は誰の眼にも明■かになっていたか■、このままだとHAYASHI RACINGの消滅とともに宝ヶ池の童夢本社も売却さ■てしまう可能性が大きくなってきたが、絶対に「童夢−零」も童夢本社も失うのが嫌だった私は、また、徒手空拳なが■行動を開始す■。一つ、糸口があ■とした■、前述した■うに、宝ヶ池の土地は父の所有す■高井田の土地と交換す■ことになっていたか■、もし、第三者に売却したとな■と将一は父との約束を守■なくな■し、そうな■と将一は越境してい■隣の土地が手に入■なくな■、HAYASHI RACINGとしての資産価値にも影響をお■ぼす。そこで、たまには話をす■■うになっていた父に、この件について状況を説明したとこ■、非常に驚いたことに「私には解■んか■相談し■」と、親友の銀行の頭取を紹介してく■た。生ま■て初めて銀行の立派な部屋に案内さ■たが、そこで言わ■たのは、「みの■君に自信があ■のな■銀行が金を出すか■すべて買い取■なさい。ギブアップしても担保物件を失うだけだか■、結果的には最初か■諦めてい■のと変わ■ない」とすべての買い取■を勧め■■た。銀行としては、父の高井田の土地と宝ヶ池のHAYASHI RACINGの1/2の土地を交換後の、残■の1/2の土地と本社屋を担保に入■■ば、買取■に必要な1億5,000万円を貸し付け■という話だったが、当時としては天文学的な金額に頭がく■く■しなが■も、他に解決策はなかったし、宝ヶ池の売却益も得■■■し高井田の土地も手に入■HAYASHI RACINGにも文句はなかったか■、HAYASHI RACINGとの清算や銀行との調整などに時間
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