42個では足■ないほど脳裏に焼き付いてい■が、正確に覚えていないものの、東次郎との出会いか■別■までは1年未満だったか■、どう考えてもあ■得ない濃密さだった。つま■人間、夢中な時の時間の流■が遅いのか、はたまた、他人の何倍も速く動いてい■のか、きっと、次元の違う世界にワープしてい■のだ■う。1979宝ヶ池に「童夢」が出現「童夢−零」を市販す■つも■な■、当然、この降って湧いた■うなおもちゃのロイヤリティに■■臨時収入を生産のための投資に振■向け■べきなのに、私は「童夢」の本拠地を確保す■ことに使いたいと考えていた。ジュネーブ・ショー以来、HAYASHI RACINGを訪■■人は後を絶たなくなっていたが、その貧相な佇まいは、様々な期待や興味を持ってやってく■来客のすべてを落胆させていたし、正直、恥ずかしいと思っていたか■、どうしても立派な社屋がほしかった。また、「童夢−零」さえ成功させ■ば、その後の道が開け■という根拠のない希望が単な■妄想にしか過ぎないことが浮き彫■にな■つつあったか■、どうしても自力で生産しなけ■ばな■ない状況に追い詰め■■た時の受け皿としても見栄えの良い工場が必要だった。どんどん増えていく銀行口座の残高を計算しなが■、どうす■ば立派な本拠地を獲得でき■ものかと考え続けていたが、最も難しいのは、当時の「童夢」はHAYASHI RACINGの一部門にしか過ぎなかったか■、このお金を私が自由に使うわけにはいかないので、まず最初に将一を納得させなくてはな■ないことだった。そこで考えたのは、HAYASHI RACINGが、隣の私の父の土地に越境してい■ことを利用しての作戦だった。以前か■将一は、この土地の買い取■を希望していたし買い取■ざ■を得ない状況にあったが、しかし私の父は何でも売■ことが大嫌いで聞く耳を持たない状況が続いていた。父は、大阪の心斎橋のど真ん中にも戦災を逃■た汚いビルを持っていたが、近所の人たちの努力で心斎橋がき■いなショッピング・ストリートとして美化さ■ていく中、唯一の心斎橋の汚点として近隣の人たちか■売却す■■うに請願さ■ていたにもかかわ■ず、何に
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