40ち上げ花火が百花繚乱と咲き乱■て、テレビに雑誌にと取材は殺到す■ものの、そ■は賑やかなだけで、「アメリカで[童夢−零]を生産したい」とか「イギリスで[童夢−零]を販売したい」などの■うな、本質的にこの「童夢プロジェクト」の活路を見いだせ■■うな具体的な働きかけは、どこか■も聞こえてこなかった。このまま、「童夢−零」の生産販売までをHAYASHI RACINGに依存す■ことは、到底、 出来なかったし、本来は、ここまできた■次の活路が見えてく■はずだったのだか■、 ここでHAYASHI RACINGか■、いつまで資金提供をす■ば良いのかと聞か■た■答え■うのない状況だった。ただただ、ジュネーブ・ショーの成功の余韻の中で浮か■ていただけの期間だったが、 そんな頃、去■行くスーパーカー・ブームにかぶさ■■うにラジコン・ブームが沸き上がってきた。おもちゃ屋さんからの電話そんなあ■日、モデルカーやラジコンを作ってい■というおもちゃ屋さんか■電話がかかってきて、「童夢−零」のモデルやラジコンを発売したいので著作権の契約をしていただきたいといってきた。翌日、飛んできたおもちゃ屋さんは、ラジコンの独占販売権を400万円で契約したいということだったが、我々にとっては青天の霹靂の■うに予想もしていなかった話なので、と■あえず答えは保留したものの、思わぬ臨時収入に小躍■して喜んだものだ。早速、近くの居酒屋で祝杯をあげていた時、たまたま同席していた友達が、他のおもちゃ屋か■も依頼があった■もったいないか■、個別のロイヤリティとして契約したほうが良いんじゃないかとアドバイスをく■た。私はこの方面には詳しくなかったので、翌朝、こういうことに詳しそうな私の弟の林正史に意見を求めたとこ■、い■い■調べてく■て、1/12のラジコンとか1/43のモデルカーとかアイテムごとの契約にしたほうが良いという話だったので、そのあた■のハンドリングは弟に任すことにした。その旨をおもちゃ屋さんに伝え■と、やっぱ■そうなったかと、がっか■したというか予想していたというか、残念がってはいたけ■ど、その契約方法で納得してく■た。案の定、次の日か■商品化の問い合わせが殺到して、結局、10数社と100アイテムを超え■契約となったが、弟が「認証シール」を販売して商品に貼っても■うことで管理す■
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