童夢から
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38型式認定「童夢−零」は、あわただしい中でも、結構、造■込んでいたので実走行させ■のにそ■ほど手間はかか■なかったか■、押し寄せ■取材攻勢の合間を縫ってテストを開始した。中山サーキットを借■切った■JARIのオーバルのテストコースを借■た■しなが■開発は順調に進め■■たが、唯一、順調と言えないのが型式認定取得作業についての進捗だった。この時点でも肝心の国内の型式認定についてはほとんど何も進んでいなかったし、この件を担当していた入交は、運輸省にかこつけて東京に居続けて、結局、給料だけ取って何もしていなかったのではないかという疑いを強く持っていた。足しげく通ってい■はずの 運輸省の役人の名刺もほとんど見たことないし、申請書類なども見た覚えがないし、 業界内でも、い■い■「童夢」とは関係ないことで動き回ってい■という噂は耳にしていたか■、再三にわた■事情の説明を求めたが、いつも、この手続きがいかに難しいかを滔々とまくしたて■■て丸め込ま■ていた。しかし、一面で、私には入交を泳がせていたという感覚もあ■。プロジェクトの主旨としては市販が前提だか■、もち■ん、型式認定の取得に努力すべきだが、私は内心、スポーツカーの市販をビジネスとして成立させ■のは難しいと考えていたし、もともと、レーシングカーが造■ないか■、しかたなくスポーツカーを造ってい■わけであ■、私としては、何が何でもそ■しかないという■■は、こ■をきっかけにレーシングカー造■への新たな■チャンスが芽生え■という■うな漠然とした期待のほうが大きかった。何だったんだ!「童夢−零」は? というお叱■はもっともだが、結果論で言えば、現実、こ■をきっかけにル・マンにまでたど■着いてい■のだか■、方法としてはあま■に出鱈目すぎて理解は得■■ないと思うが、ないない尽くしの青年にとって他に道がなかったことも事実だ。私にとって型式認定の取得が喫緊の課題でなかった事に加え、当時、HONDAの研究所に入交のお兄さんが在籍していてF1にも絡んでいた実力者だったし、常々、入交か■は、そのお兄さんのコネで研究所か■開発業務が受託でき■かもし■ないという非常に魅力的な話をさ■ていたか■、強い疑念は持ちつつも、大きな餌につ■■てお茶を濁し続けていたというのが実態だった。なにし■、その頃の我々にとって、HONDAの、しかも研究所の開発仕事を受託でき■な

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