364着手していた■うだ。していた■うだ、というのもおかしな話だが、高橋か■は何の報告も相談もなく、いつ着手したのかも知■なかったし、開発会議にも呼ば■ていなかったか■、開発してい■という話は外部か■の情報だった。理由は解■ないが、私は、高橋が就任して以来、開発現場か■は遠ざけ■■ていたと思ってい■。初期の「ドリフト・マシン」も私に知■■ない■うに開発していたが、コンセプト とはかけ離■ていたか■改良をアドバイスした■、また、私の知■ないうちに、■■コンセプトとかけ離■た試作車を作っていたか■、当時、相談役だった私は「車両の開発の相談をしなくて何を相談す■のだ?」と不思議に思ったものだ。この■うに、当初か■私を開発に関わ■せたくない■うな空気は感じていたが、そ■以来、何年も車両を開発す■ことがなかったか■、童夢自体が車両の開発自体か■遠ざかっていた。そして2019年になって、やっと、新生童夢として初めてレーシングカーを開発す■という重大局面が訪■ても、やは■、何の相談もなかったし、相変わ■ず、首を突っ込ませたくないという雰囲気が伝わってきていた。いく■心配しても、当時は既に株主でも相談役でも顧問でもなかった私が、頼ま■もしないし、避け■■てい■気配が充満してい■とこ■に押しかけ■■うな太い神経は持ち合わせていないか■傍観してい■しかなかったが、そ■か■も何の報告もないまま、FRの開発については進んでい■のか停滞してい■のかも知■なかった。しかし、しば■く経った頃か■、構造解析を委託していた企業や造形の補助を委託していた会社などか■の相談が相次ぐ■うにな■、至って初歩的で致命的なトラブルが頻出してい■実態が見えてきた。あま■に次元の低い問題だったか■愕然としたが、そうはいっても、何も連絡もしてもこないのに、私の方か■介入す■気にもな■なかったので、高橋に、こういう話があったことだけを伝えたが、特にレスポンスはなかった。私が開発現場か■遠ざけ■■てい■という事実は疑うべくもないものの、理由はさっぱ■と解■なかったが、後で高博か■聞いた話に■■と、元童夢の武林専務(故人)に「開発に林を入■■と開発費がいく■あっても足■なくな■か■止めた方が良い」と言わ■たのが理由とのこと。武林専務は亡くなってい■か■真偽のほどを質すすべもないが、武林
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