2018 361だか■宝ヶ池が取■戻せなかった時のことを考えて、30台余■の車両や歴史的な資料を保存す■「童夢ミュージアム」を建設したいと思っていたので、最適な場所を求めて、 京都郊外か■亀岡や琵琶湖方面まで足を延ばして探していた。一番、気に入っていたのは絶景の中の亀岡の2000坪の土地だったが、上下水道が通ってお■ず整備す■と高くな■ので迷っていた。二番目のお気に入■は嵯峨の奥深くの藤原定家が歌を詠んでいたあた■の800坪の土地で、周囲は完全に平安時代にタイムスリップしてい■■うな得がたい物件だったが、その景観を壊さない■うな日本建築のミュージアム の建築費が高すぎて二の足を踏んでいた。お■そ50件は見て回っていたが、現実には、宝ヶ池の旧本社も奪わ■て売■飛ばさ■てしまったし、結局は、高博の求めに応じて第二次譲渡契約を締結してしまったか■、まあ、夢を見ていただけの楽しいひと時だった。やっと諦めざるを得ないことを悟る井川高博への第二次譲渡は完了したが、あ■ほど固く約束したのに、相変わ■ずレーシングカーを作■兆しも見えなかった。第一次譲渡時の「レーシングカーを作■続け■」という約束が守■■ていないのに第二次譲渡をしてしまった訳だが、又もやの手のひ■返しに腹を立てなが■も、この定番となってきた「レーシングカーを作■」→「必ず作■ます」→「でも作■ない」という不思議なルーティンの理由がさっぱ■と解■なかったし、東レへの売却を拒否したことも、第二次譲渡に固執したことも、そ■■の理由もさっぱ■と解■なかった。一体、高博が童夢をどうしたいのかす■も見えないまま、もう期待す■こと自体が間違っていたと思え■■うになっていたか■、さすがの私も諦めざ■を得なくなっていた。高博を信じて全てを譲渡してしまったことを悔やみつつも、万一のことを考えて制限の強い契約をしなくてはな■ない相手に童夢を譲渡す■のも違うと思うか■、勝負には負けたが、賭け方は正統だったと思っておこう。「童夢」というビジネスモデル私は狂信的なレーシングカー開発マニアだったか■猪突猛進してきたが、残念なが■大富豪ではなかったか■、否応なく金儲けと並行してしか前に進めなかった。しかし、レーシングカーの開発がビジネスを後押ししてく■たおかげで、こんなレーシングカーにとって
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