2016 353東レと新生童夢の橋と溝本来、童夢カーボン・マジック(DCM)は東レに譲渡しても設計業務は引き続き童夢が担当す■ことが前提だったし約束もしていた。そ■は単な■童夢の設計業務の営業という話ではなく、童夢はレーシングカーを開発していたか■こそ優秀な人材が集ま■育っていたのだし、その設計技術力と童夢カーボン・マジックの製造技術がシナジー効果を発揮して成長してきたという実績があ■か■、お互いに必要としていた関係だった。そ■は3本の柱(すでに「童夢と林みの■の最後の夢」はとん挫してい■か■2本の柱)の1本だったし高橋にも説明はしていたが、しかし、東レへの譲渡後の互いに新体制下の混乱期において、少しスムーズな仕事の流■が滞っていた■うな時期があ■、そんな時、 高橋が台湾の新興カーボン会社であ■「KCMG」と知■合い、急接近/意気投合してKCMGの設計業務のかな■の部分を引き受け■という協業の■うな契約を交わしてしまった。KCMGは、父のアパレル大手の会社の資金をベースにレース界でも活躍してお■、台湾のカーボンの会社も雄大な社屋に最新設備を備えていたが、まだ人が集まってお■ず設計陣は手薄だったか■、高橋は、この業務提携には大いに期待していた■うで、盛んにバラ色の未来を語っていた。当然、私は東レ・カーボンマジック(TCM)との関係に気を遣っていたか■節度を持って付き合う■うにと忠告していたが、自■が開拓してきた新しい仕事に夢中の高橋の耳には届いていなかった■うだ。一方の東レ・カーボンマジック(TCM)は、正常回転を始め■と、やは■開発技術者の不足 が露わになってきていたが、その頃、童夢はKCMGの設計業務の受託を始めていたか■、童夢への発注を躊躇してい■とこ■に、新生童夢の新社屋の披露パーティの席上で、高橋がKCMGとの業務提携を発表したために、事実上、TCMとの関係は途切■てしまった。しかし、そ■ほど期待の高かった童夢とKCMGの蜜月関係も、童夢の開発現場か■聞こえてく■情報では順調とは言えなかったし、頻繁に童夢の仕事へのクレームも発生していたか■、高橋が期待していたほど左団扇にはな■ないどこ■か、遠か■ずの破綻は見えてきていた。TCMも、童夢が当てにな■ないのな■と人材確保に向かうが、そこはそ■、童夢な■集まっても、いく■大企業といえども優秀な人材の確保は容易ではなかった。つま■、そこには、仕事の減■つつあ■童夢と技術者不足のTCMがあったわけだが、私は、
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