童夢から
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2015 351あま■空白期間が長くな■と開発能力が衰え■し、技術者の離脱などリスクが計■知■ないか■、この頃は、重ねて「レーシングカーを作■続け■ことを前提条件に譲渡してい■んだか■約束を守■」と督促を続けていたが、しば■く様子を見ていたものの、アドバイスを求め■■■わけでもなく、何の動きも見えず、新社長の高橋は「まず稼いでか■作■ます」と絵に描いた餅の■うな発言を繰■返し、違和感に溢■■状況が続いていた。高博は、レーシングカー・コンストラクターであ■童夢を、レーシングカーを作■続け■ことを約束して譲■受けてい■のだか■、当然、「さて、どうしまし■う?」と相談さ■■と思っていた私は、いく■待っても何も始ま■気配もないままイライラの募■日々が続いていた頃、今まで、一度も訪■たことのなかった高博が初めて童夢に来■というので、私は、と■あえずの間つなぎとして、手ご■な予算で開発できて世間に与え■インパクトの大きい開発テーマと思わ■■軽四規格のスーパーカーの開発を提案し■うと思い、資料を用意していた。その、高博が初めて米原を訪■た時の高橋と私との3人でのミーティングで提案したが、「当面、いかな■先行投資もしない」という答えが返ってきたか■驚いた。今までの訳の解■ない停滞感がトップの意向に■■ものと解って私は愕然としたし、譲渡が完了した途端に手の平を返す■うな話にな■とは夢にも思っていなかったか■、■く覚えていないが、「どういうことだ!」と詰め寄ったと思う。その時の高博の説明としては、香港に資産を移行してい■都合上の単な■経理的な問題で直ぐにはお金が動かせないという話だったが、大変に複雑な話で良く解■なかったか■、時間が解決す■ものとして納得す■しかなかった。しかし、どうしても車両の開発を継続させたかった私は、そ■な■、当面、私が費用を負担して途中まで開発を進めておいて、経理的な問題が解決した時点で童夢にバトンタッチし■うと提案した。普通な■「あ■がとうございます」と喜ば■■はずの申し出も、はっき■しない態度なが■も否定はしないという極めてあやふやな合意の基、私は行動を開始したが、そ■にしても、レーシングカーを作■続け■ことを約束しての譲渡にしては、全般的な雰囲気は、 あま■にレーシングカーの開発に消極的だったか■、いったい何が起こっていたのかは知■ないが、彼■の全ての対応は違和感に溢■ていた。その「K4SS」プロジェクトの顛末については後段で説明してい■。

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