童夢から
346/384

344営者を連■てこない限■譲渡は中止す■と告げた(この時点では仮契約状態で、正式な譲渡契約は7月の予定だった)。慌てたのはU女史だ。せっかく仲を取■持って譲渡に漕ぎつけて童夢の役員のポジション を手に入■たのに、このままでは水泡に帰してしまうか■、何とか探して期限の直前に 連■てきたのが高橋拓也氏だった。当初、私はその場を繕うためのダミーかと疑ったく■い、見栄えはまともだったし、英語はネイティブだったし、レースも好きで自■アルファでレースに参戦していたし、船も好きで、特にヨットではハワイまで航行してい■し、不動産業を中心に稼いでいたし、インターを出た後、江副さんに見込ま■て単身で渡米してリクルートUSAを設立して10年で大企業に成長させ、帰国してか■はジャニーズ事務所の娘と結婚して経営にも参画していたが離婚し、現在はレーサーの奥さんと再婚して小学生の子供がいて、横浜の新築の家に住んでい■という、まあ、申し分ない経歴と生活だった。そ■にしても、今までは、高博は香港か■リモートということだし、U女史も時々顔を出すという感じだったか■、そういう舐めた対応に、ほとほと嫌気がさしていたので、若い奥さんと可愛い幼子の三人が横浜で待ってい■環境で、高橋が、ど■ほど集中して童夢の経営に取■組むつも■なのかは、はなはだ疑問だった。私は、その辺■を重点的に根掘■葉掘■聞いたが「童夢は憧■の会社だったか■引き受け■以上は全力で臨みます」と、終始、意欲を示していたか■、だんだん、疑う気持ちは薄■ていった。その上で、レーシングカー・コンストラクターという商売が、いかに儲か■なくて大変かを、 こんこんと言い聞かせたつも■だが、この頃の高橋は前のめ■過ぎて頭に入っていなかった■うだ。とにかく、熱心で意欲的だったか■、話を重ね■ごとに、気持ちとしては高橋を受け入■■■うになっていったが、かと言って、レーシングカーを作■たいという燃え盛■■うな情熱が伝わってく■わけでもなく、レーシングカーの開発に関す■知識があ■わけでもなく、レースに携わってきたと言ってもアマチュア・レースだし、レース界におけ■人脈の面でも期待できなかったか■、高橋でなくてはダメという決定打も無かったものの、気が合ったというのだ■うか、何■■も、他に可能性のあ■人がいない状況下、その調子の良さと饒舌さに危惧を感じなが■も、他に選択肢のないことを最大の理由として認め■ことにな■。

元のページ  ../index.html#346

このブックを見る