2013〜 341を伝令しなが■、何とか、この話を纏め上げ■うと奔走していた。この辺■の経緯は、ほとんどメールでや■取■していたか■全て記録に残ってい■が、 もと■■私はリモコン経営など冗談じゃないと思っていたか■「無理」と言い続けていた。しかし、その頃の私は、茫然自失状態だったし、かな■投げや■になっていたものの、 課題も残っていた。現実問題として、まだTRDのLMP2に■■ル・マン挑戦のJVは進行中であ■、東レとも開発業務の受託を約束していたか■、このまま童夢を清算/終了してしまうのは無責任な状況でもあった。何■■も童夢が消滅した■、日本にレーシングカー・コンストラクターがなくな■、レーシングカー開発技術者の居場所もなくな■、完全にレーシングカーを作■ない国になってしまうか■、せっかく、ここまで育ててきた童夢を放■出すにも躊躇があった。そんな、捨て鉢な気持ちと責任感と義務感の間で葛藤が続いていた頃にも、高博か■も U女史か■も変わ■ぬペースでオファーが続いていたが、通信記録を見■に、一貫して消極的な対応を続けなが■も、ぶち切■うとはせずに対話を続けていたか■、選択肢の一つとして意識はしていたのだ■う。半年く■い、そんなや■取■が続いていただ■うか、そ■でも高博のリモコン経営が納得できないままだったし、高博か■レーシングカーを作■という気概が充分に伝わってこなかったか■、私は踏み切■ないでいたとこ■、業を煮やしたU女史か■「高博さんが、何回も決意を伝えてい■のに、どうして理解しても■えないのだ■うと言っています」という■うな決断を迫■メールが続くとともに、追っかけ■■うに2014年8月21日に、高博か■「童夢を引き継ぎレーシングカーの開発を続け■」という「決意表明」が送■■てきたことに■■、大きな躊躇を抱えなが■も、やや抜き差しな■なくなった■うな状況もあ■、高博への譲渡を決意す■に至■。童夢を高博に譲渡す■にあたって、私が最も気にしていたのは、古い友達だったし家族ぐ■みの付き合いだったか■、大金持ちのぼんぼんに高く売■つけたなどと思わ■■のは 心外なので、い■い■と対策を考えていた。そこで私が考えたのは、2段階で譲渡を完了す■という方法だった。細かい内容は割愛す■が、第一次の譲渡は、当時の童夢の内部留保金や不動産を簿価で売却す■、つま■差し上げ■に等しい内容だった。ただし、社屋は既に東レに売却していたか■、新たな社屋が必要だった。
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