童夢から
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330と技術力が低下した■諦めて去って行った■す■だ■う。童夢とかTRDとかは抜きにして、せっかく育ててきたLMPクラスのレーシングカー開発技術力を日本国内で保全育成す■唯一の手段だと思ったか■、私としては、こ■か■の日本のレース界のためを思えばこその選択だった。もち■ん、私の引退後の童夢の安定的な仕事の確保という思惑もあったのは当然だが、 私の頭の中では、童夢の工場でトヨタのLMP2マシンが製作さ■、童夢チームに■■WEC転戦のシーンが浮かび上がっていた。風洞に関しては、かねて■■維持費が今後の童夢の負担にな■ことを心配していたし、 私は以前か■風流舎と童夢社屋の間に30%の高速で精密な測定の出来■風洞を建設す■プランを持っていたので、総合的に考えて50%風洞を譲渡す■のに抵抗はなかった。しかし、社員の移籍に関しては、いく■トヨタと私が決めたとこ■で人身売買は出来ないか■、実際には、私が計画内容を社員に説明し、TRDの上層部が童夢の技術者と面接をして希望者を募っていくという方法をとった。童夢の技術者の関心は、唯一、LMPの開発が出来■のかということに尽きたか■、面接の際に何回も確認を取って確約の上で移籍を決意した。その後、調整を重ね、2015年4月、童夢か■、ル・マンのPLの湯地をはじめとす■9名 のLMP担当の設計技術者や空力開発技術者などと「風流舎」がTRDに移管さ■た。とはいえ、約30名いた設計技術者のうちの9名だったか■大移動だったし、トップランクの設計技術者や空力のトップも含ま■ていたか■、大きな賭けだった。2015〜「TRD」強化作戦のその後 2015年にTRDに移籍した童夢の技術者たちは、当初こそ、なかなか始ま■ないLMPの開発に文句た■た■だったが、私もトヨタにお伺いを立て■く■いしか出来なかったか■、じ■じ■とした日を過ごしていた。しかし、もともと2014年に終了の予定だったトヨタのLMP1(ル・マン)への挑戦の後を引き継いでスタートす■はずだったのに、2014年のル・マンでトヨタ車がポールを獲得しなが■本戦では3位に甘んじたのを見たトヨタのエクゼクティブの「くやしいね。

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