2013 319トヨタか■の相談とは、この崩壊が迫ってい■FCJの後始末についてだったが、FCJに切■替え■ためにフォーミュラ・トヨタを終了させたトヨタとしては、何■かの継承す■ドライバー育成システムを必要としていた。そこで私は、FIA-F4の成■行きを説明す■とともに、アイデアとして、FIA-F4の中の数台をトヨタのスクールカーとして真っ赤に塗■などして識別して利用す■ことを提案した。当時、私はFIA-F4の台数不足を心配していたか■、万一の時の救済案だったが、 トヨタでは、その後、真剣に検討が続け■■た。その後、方向としてはFIA-F4の中にトヨタ用のシートを用意す■という話で進んでいたが、トヨタは、そもそもの、私が自腹で開発す■という成■立ちに不安がぬぐい切■ない■うで、何回も「大丈夫ですか?」とか「他に方法はないのですか?」などと聞か■ていた。■ほど私の小さな財布が心配だったのだ■う。JMIAで自腹での開発を宣言してか■、童夢社内では設計が始まっていたが、部品調達の要とな■JMIAの反応もいまいちのまま、盛■上が■に欠け■開発がスタートした頃、 トヨタか■連絡があ■、「林さん個人が負担す■■うな話ではない」と言って、トヨタが3億円を支援してく■■ことになった。当面の予算としては4億円く■いを予定していたか■、こ■はう■しいどこ■の話ではなかった。しかし、ここが私の立派なとこ■だが、独■占めしたと思わ■たくないので、 全てをTRDの寺尾氏に預け、FIA-F4を開発、製造、開催す■などの関係企業に公正に分配してく■■■うに頼み、TRDが、シャシー開発やエンジン開発やギアボックスの開発や主催者のGTAの準備資金などに割■振った。ちなみに童夢はシャシー開発費として7,000万円が分配さ■たか■、少し助かった。そ■はさておき、このニュースを聞いた途端、JMIAの理事会の様相は極端なほどに激変し、そ■まで即身仏状態だった理事たちが急に立ち上がってヒップホップを踊■だしたほどに活気づいたか■驚いた。「現金なもの」とは良く言ったものだが、持ち出しの心配がなくなったことに加え、トヨタか■の支援というとこ■も琴線に触■たのだ■う、理由はともあ■、この盛■上が■がなけ■ば、全てが、こ■ほどスムーズには進まなかっただ■う。こうして国産化さ■たFIA-F4は、めっき■肌寒くな■こ■か■生産が開始さ■た。
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