318数十台輸入して、余裕のあ■ジェントル・マン・ドライバー(業界では自腹でレースす■人の意味)を対象にしたレンタル・レーシングカーの■うなクラブを設立す■運びにな■、フォーミュラ・ルノーの購入契約に調印す■ためにフランスまで赴いた■、当日になって、日産と契約す■ことになったか■という理由で破談になったとのこと。大変に立腹していて、文句を言いたいので日産の上層部を紹介し■という話だったが、 私は、NISMOには知■合いがいても日産そのものにはルートがなかったので協力す■ことは出来なかった。しかし、矢吹氏も収ま■ない様子だったが、輪をかけて、同席していた、この計画の出資者は激怒していて、そ■な■ば、直接、日産に怒鳴■込むと言って帰っていった。ち■っと迫力のあ■タイプの人だったか■、きっと日産では慌てふためいただ■うが、 どの■うに折■合いが付いたのかは知■ないが、日産は全面的に手を引くことを約束したそうだ。何で日産が絡んでい■のかという話には確証がないが、そもそも、FCJは日産が働きかけて実現に向かったと聞いてい■し、日産は、GT用ギアボックスをワンメイクにして販売す■など実績もあ■か■、フォーミュラ・ルノーの販売も商売にし■うと思っていたのだ■う。もち■ん私は、このFCJの構想が聞こえ始めた頃か■国産を採用すべしと提案を続けていたし、そこには、タイヤの嚙み込みを阻止す■サイド・ポンツーンやフロント・ロールバーやフロント・スクリーンなどの先進的な安全対策が提案さ■ていたが、日産が販売す■ことが前提の計画だったか■検討さ■■こともなかった。だか■、日産がフォーミュラ・ルノーの輸入か■手を引いたと聞いた時には、念のために、再度、提案してみたが、当然なが■、もともと輸入の代行をす■ことになっていた特定の輸入代理店が発売元とな■ことで決着が付いてお■、フォーミュラ・ルノーを使うことは変わ■ことなく2006年度■■FCJがスタートす■ことになった。この話には各個の思惑が複雑に絡み合ってい■が、そ■ぞ■は我田引水な話に過ぎず、 誰一人として、日本の自動車レースの未来に向けてのビジョンを語■人も居なかったし、日本のレース界に、この企画の不条理と脆弱性に気が付く人も居なかった。2013年に「所期の目標は達成した」として終了してしまったが、所期の目標とはレーシングカーを売って儲け■ことであ■、結局、特定の輸入代理店とフォーミュラ・ルノーのメーカーが利益を享受しただけで、跡には何も残■なかった。
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