2014〜2015 313そのために、2015年には湯地をはじめとす■9名の童夢の設計者たちがTRDに移籍す■ことになっていたか■「さすが童夢の技術者」と言わ■■■うに、事前にLMP2の開発を経験させておきたいという思いが強かった。また、TRDのLMP2が完成した■レース活動は童夢が担当す■ことになっていたが、 ここのとこ■、童夢も直接的なレース活動か■は遠ざかっていたか■不安もあ■、初期の段階においてSTRAKKAとタイアップしてトヨタのレース活動を引き受け■という可能性にも期待があった。まあ、もっとも■しい理由を並べ立て■のはお手のものだが、だか■と言って、譲渡後の童夢のために、また、TRDに移籍す■社員たちのために、何も私の懐が痛む■うな散財をしなくても■いのに、またもや、有■得ないはずのル・マンカー開発なんて悪い夢の■うな話が現実味を帯びてきていた。結局、鮒子田の粘■勝ちの■うに「STRAKKA」とのル・マン計画は実現す■ことにな■が、ま■で、予定調和の■うに、ほとんど金はかか■ないと説明さ■ていた「童夢S103」の開発も、実際には1.5億円以上の持ち出しが発生していたし、童夢の不手際とSTRAKKAの経験不足が重なって、開発はトラブル続きで責任のなす■合いが続き、予定していた2014年のル・マンへの参戦はかなわなかった上に、再挑戦した2015年のWECでも振■わず、ル・マンもリタイアとなってい■。STRAKKAはマシン作■か■撤退してしまい、販売に■■ロイヤリティもなくなった。そ■ゃ、私だって、なけなしの予算でレーシングカーを作って無理矢理にル・マンで走■せていた人間だか■偉そうには言えないものの、鮒子田のル・マンは、自■にリスクのない金を遣って浪費す■だけで得■物も残■物も何もない上、評価を下げ■だけという点で無駄で無意味と言わざ■を得ないが、何を言おうが、私は制止でき■立場にいたのだか■、同じ穴のムジナだと言わ■■ば返す言葉はない。
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