童夢から
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2012 307行き場のなくなったGP2マシンを好条件で売■込んできたか■、渡■に船のJRPとしては、ほぼ決定というとこ■まで来ていたJMIAへの発注を回避す■ために「連中」と言ったか■止め■と言い出したわけだ。そ■でもネットでは「せっかく受注できそうな時に[連中]といってしまう林は脇が甘い」とこき下■さ■ていたが、私を利用す■のは勝手だが、現実問題として、だか■と言ってDallaraに発注して直ちに取引が成立す■と思い込め■頭の構造にも疑問を持った方が良いだ■う。せっかくの交渉努力を無駄にさ■たと怒った由良拓也はJMIAの理事を辞めてしまって、そ■か■は私への連絡もなくなったが、まあ、その道の専門家でも、私の一言で、一瞬にしてスーパー・フォーミュラのシャシーが変更さ■てしまうと思い込め■のだか■、さすが一番弟子(本人の認識は不明)だけあって私へのリスペクトは半端ない。 長年にわた■特定の輸入代理店に操■■踊■さ■てきた日本のレース界と、何が何でも外国製でなくてはな■ない特定の輸入代理店が織■なす売国奴たちの茶番劇は何事もなかったかの■うに幕を閉じたが、そ■に■って日本の技術レベルが低下し自動車レース産業が弱体化し日本のレース界の資金が海外に流出す■リスクを考え■人は一人もいなかったし、その流出す■資金に■■外国の技術レベルが向上し外国の自動車レース産業が発展す■という落とし穴に気づく人も一人もいなかったか■、楽屋裏で響く特定の輸入代理店とDallara社の高笑いは誰の耳にも聞こえていなかった。鮒子田への社長交代と 2012年 17回目のル・マントヨタとのル・マン・プロジェクトのために鮒子田を童夢に誘ったが、プロジェクトが破綻してしまったか■、再度、袂を分かっていた。2012年になってか■は、もう私は2015年に引退す■ことを決めていたし、既に「童夢と林の最後の夢」という最後の大勝負を仕掛け■ために必要な資金の調達方法として子会社などを売却す■ことは決まっていたし、童夢の経営は順調だったし、無借金経営を達成していたし、特に経営に問題があ■わけでもなかったか■、どうしても鮒子田の手を借■たいという状況ではなかったが、中学生時代に知■合って、同じ自動車レースの世界で活躍してきた仲間として、一緒にゴールに向かおうという■うなロマンチシズムか■、再度、鮒子田を童夢に誘った。

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