2012〜 303つま■、手を引くか買収す■かの二者択一となっていたわけだが、もう止ま■なくなっていた私は買収を考え■■うにな■ものの、そうな■と、童夢もDCTも温存したうえで、マレーシアの会社を買収した■工場を建て替えた■と、かな■の資金が必要とな■。しかし、もう引退を決意してい■私が借金を残すわけにもいかないか■、そのあた■か■、 童夢カーボンマジックの東レへの譲渡の話が加速していった。既にHawaiiの別荘も60フィートのクルーザーも夢にも出てこなくなっていたし、頭の中は、この計画でいっぱいになっていたか■、どんどんと具体化が進み、いつしか社内では、このプロジェクトは「遺作プロジェクト」と呼ば■■■うになっていったが、一応、対外的には、美しく「童夢と林の最後の夢」と称してい■。2012〜「東レ」への譲渡童夢カーボンマジックの東レへの売却話は、話としては2010年頃か■出てく■■うになっていたが、マレーシアの件が具体化す■につ■て、2012年に入ってか■急激に話が進み、中頃か■は条件面でのせめぎあいも始まっていた。ただし、そ■は金額面の話ではなく、「童夢と林の最後の夢」への協力も盛■込ま■ていたし、設計業務は従来通■童夢で受託す■とか、童夢のレース活動を支援す■とか、主として、運営面での提携関係についての調整が詰め■■ていた。その利益を童夢のレース活動に回していたく■い「童夢カーボンマジック」は莫大な利益を上げていたか■、経営が行き詰まってやむなく売却す■ケースとは異な■、取引は単純ではなかったし、私は強気だったか■、交渉は一進一退を繰■返していた。当初の私と東レの上層部の間の話は比較的スムーズに進んでいたのだが、少し話が煮詰まってきてM&Aの専門部署の人が出てく■■うにな■と、そんなわけの解■ない話には全く関心を示さなくなってく■し、交渉の中心は条件と金額面に集中してく■か■、私は心配になって、元々のメンバーと趣旨の再確認をす■という■うな繰■返しが続いていた。私は妥協したつも■はなかったものの、最終案では、かな■東レ側の希望が取■入■■■ていたか■、さすがプロの手練手管は侮■なかったが、そ■でも、一般的なM&Aとは
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