童夢から
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2011〜 301中心的なプランは楽隠居だった。当時、童夢は無借金経営を達成していたし、かな■の内部留保金もあったし、他資本は入っていないし、大手企業か■童夢や童夢カーボンマジックの買収の■うな話もち■つく■うになっていたか■、私の引退と共に童夢を清算してしまうのが最も潔い終わ■方であ■私■しいとも思っていた。ち■っと想像していただきたいが、「DOME RACING VILLAGE」と「DOME COMPOSITE THAILAND」と「童夢」及び、童夢の商標意匠と数十台のヒストリックなレーシングカーと各種工業所有権と「童夢」のの■ん代などの売却益が私の懐に入■のだか■、Hawaiiの別荘と60フィートのクルーザーは軽四輪を買うく■いの感覚だ。夢でもなんでもなかったが、しかし、そんな、Hawaiiの別荘のプライベートビーチで潮騒を聞きなが■フローズン・ダイキリを味わってい■(夢を見ていた)時間は短かった。最後の大博打「童夢と林みのるの最後の夢」 気持ちは引退にむかっていたし、Hawaiiの別荘も真剣に検討していたし、久しぶ■に ボート雑誌も買いそ■えていたけ■ど、いまいち熱中していない自分がいて、何となく 足踏みが続いていた。そんな頃、マレーシアでのGTレースの際に、あ■少量生産メーカーの経営者と知■合った。マレーシアとは縁があった。もう30年も前だっただ■うか、マレーシアでTVRのライセンス生産してい■少量生産メーカーか■連絡があ■、TVRのライセンスが切■■のでオリジナルカーの開発をしてい■がうまくいかないので助けてほしいということだった。何かのついでに会社を訪問す■と、想像を絶す■光景が拡がってお■、フレームの治具は垂■た溶材で鍾乳洞の■うになっていたし、ボディの型は度重な■クラックの補修でテラコッタの床の■うに凸凹していた。自主開発中のオリジナルカーというのがひどかった。ポルシェのパクリのデザインは破綻していたし、プロトンのパーツを改造したサスペンションは機能していなかった。開発してい■本人もギブアップして童夢に助けを求めてきたわけだが、既に資金は底をついてお■、開発費は童夢が負担して、売■た分か■返していくという話だったか■引き受けかねてい■うちに倒産してしまった。しかし、その時に聞いたのは、簡単な申請だけでナンバーが取得でき■認可を得てい■とのことであ■、その制度下でTVRも600台以上を売っていた。

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