300結果だけを見■ば、私は、この■うな木を見て森を見ない人たちとは異な■思考回路を持っていたか■曲が■な■にも「童夢」が成功してきたと思ってい■し、私か■見て、日本のレース界の誰をも羨ましいとは思わないか■、たまたま同じフィールドにはいたけ■ど、似て非な■ものが混在していたということだ■う。理解さ■ないのは当然だし、嫌わ■者で結構と思ってい■。2011〜引退へ2006年の4月に、米原に建設した「DOME RACING VILLAGE」のオープニングセレモニーで私の還暦もお祝いしても■ったが、あっという間に、もう66歳(2011年現在)になっていた。この頃か■、事あ■ごとに70歳までの引退を口走■■うになっていたが、理由はいくつかあ■。一つは、能力の衰えだ。私は、デザインす■のも文章を書くのも早かったし、何事に関しても判断が速かったか■迷うということがなかった(結果の可否は別として)。だか■複数の案件を同時並行的に進めた■、素早く処理して呑みにいった■できたわけだが、さすがに60代も後半に差し掛か■こ■か■は様々な自覚症状が出てく■。瞬間芸だったデザインも白紙を前に悠久の時が流■■し、執筆す■にしても適切な表現を忘■て手が止まったままにな■し、ビッグカメラのショーケースの前でUSBメモリーを選ぶだけで10分も迷ってしまうし、喋ってい■間に何を言おうとしていたのか忘■てしまい真っ白にな■し、否応なく能力の衰えが露呈してきていた。もう一つの理由は、「人生で最も幸せだった一日」で書いた■うなトヨタとのル・マン・プロジェクトが頓挫したことに■■、エベレストか■滑落して谷底に落ちた■うな気持ちになっていたか■、さすがに、私の■うな前しか見ていない■うな人間でも極度に虚無的になっていた。もう一つ、近年、ライフワーク的に取■組んできた感のあ■日本の自動車レースの発展振興策だが、結局、日本のレース界の協力も賛同も得■■ないままに空回■を続けていただけだったか■、もう嫌気がさして考え■のも嫌になっていた。だか■、基本的には逃避的な気持ちで引退を口にす■■うになっていたか■、この頃の
元のページ ../index.html#302