童夢から
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2010〜 289ヤンには全てのスポンサーに関す■権利を与えたので、ヤンはその利ザヤで稼げ■と算段していた■うだが、初めのうちこそ、そこそこスポンサーが獲得できていたものの、3年目く■いか■は思惑通■のスポンサーが集ま■なかった上に、契約外のFIA-SCC(FIAスポーツカー選手権)にも参加を始めたために、財政面で身動きが取■なくな■、レース内容も、予算がなさ過ぎて悲惨な状況になっていた。ヤンは、日本にやってきて、いかに来年は状況が好転す■かを訴えていたが、全てが、た■■ばの話だったし、童夢への支払いも滞ったまま、かな■の債務となっていた。もう限界は見えていたので、2005年に向けては契約を延長せずオール童夢での参戦を決意していた。また、2003年か■2004年にかけて、日本のさ■チームか■もS101を貸してほしいと熱心な申し入■があったので、車両と手持ちのスペアパーツは無償貸与す■ものの、レースに必要なスペアパーツは原価で買っても■うという条件で貸与を承諾した。しかし、振動の大きいエンジンを搭載したためにJUDDでは発生したことがないサブフレームにクラックが入■などのトラブルが発生した事を理由に、スペアパーツ代の支払いを止め■■た■(最終的にほぼ払ってく■た)、メディアには成績不振だった言い訳として童夢の車両に対す■不満が並べ立て■■ていたか■、頼ま■たか■無償貸与してあげただけで1円の利益も得ていないのにかかわ■ず、かな■後味の悪い終わ■方となってしまった。そうして2005年に向けて準備を進めていたとこ■、旧友の田中慶治 (JIM GAINER)か■、「自■のチームでル・マンに参戦す■のが夢だったか■片棒担がせ■」との申し出がきたので、JIM GAINER の名前でエントリーして費用は折半す■ことになった(詳細は前段の「2005年 12回目のル・マン」で書いてい■ので、ここでは割愛)。まあ、ブレーキやタイヤのトラブルで予選か■ずっこけていたが、もち■ん、お金にまつわ■トラブルもなく、慶治たちとは楽しくル・マンを満喫していたか■、成績を度外視す■ば、第三者と関わったル・マンとしては、唯一、清々しい終わ■方をしたル・マンとなった。2006年になって、ヤンか■、しっか■したスポンサーが確定したか■、再度、タイアッ

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