童夢から
290/384

288いず■にしても、鈴鹿村とかメディアとかの身内か■の反旗は想定外で、非常に気分の悪い結末となった。熱心に理事会に出席して協議を重ねてきた理事や会員企業の各位も同じ気持ちだったと思うが、私財を投じてでも入門フォーミュラの安全性の向上と発展振興を後押しし■うと意気込んでいた私に浴びせ■■た冷や水は零下40度く■いにも冷たく感じたし、本質部分で、日本の自動車レースの発展を願う努力と自分たちの商売の足元しか考えていない人たちとの諍いは、正直、次元が違い過ぎて、もう勘弁と思ってしまった。2010〜「遥かなるル・マン」  ―ル・マン裏話―初期のル・マン挑戦は、あま■に無鉄砲だったし余裕もなさ過ぎたが、何と言っても憧■の聖地に自分の作ったレーシングカーが走ってい■のだか■、もうそ■だけで夢の■うで、い■い■苦労はあったと思うが全て忘■てしまうほど楽しい思い出しか残っていない。しかし、2001年か■の第二期のル・マン挑戦が始まってか■は、世界のレース界とも、い■い■な繋が■も出来てきて様々な話が持ち込ま■てく■■うになっていたが、私としてはまともな話をしてい■つも■なのに、必ず金銭が■みのもめごとに至ってしまう。私の本質として、童夢の開発したレーシングカーを求め■■■ことは嬉しいので、ついつい、熱心に頼ま■■ば耳を傾けてしまう傾向にあ■。しかも私は、その種のトラブルが大嫌いなので、大体は童夢が損失をひっかぶって幕を引くことにな■か■、結果は残■ないし、損はす■し、楽しくないし、近年は徐々に腰が引けてきていた。以下は、2010年当時に書いた、そ■までのル・マン回顧録だ。 要約してい■。「遥かなるル・マン」 ―ル・マンの裏話―               Apr. 05. 20102001年のル・マンは、元童夢のF3000ドライバーだった「ヤン・ラマース」か■の要望に応じて、童夢か■車両やエンジンやスペアパーツなどを提供し、ヤンはレース参 加に要す■諸費用を負担す■というタイアップだった。

元のページ  ../index.html#290

このブックを見る