童夢から
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26込んでいた。その中には、将一に取■入っておこぼ■に与■うという魂胆の取■巻きも少なくなかったので、特に、この取■巻き連中にとっては、将一の従兄でもあ■し御しにくい感じの私は、はなはだ邪魔な存在だった■うだ。なにし■童夢プロジェクトは、とてつもない金食い虫の■うに思わ■ていたか■、つま■、ハイエナが美味しい肉に群がっていた■ライオンが来てしまった■うな状況で、せっかく将一が決意してく■たにもかかわ■ず、周辺環境的にはウエルカムなムードには程遠かったし予算的にも厳しい状態が続いていたので、決して居心地は快適とは言い難かったが、曲が■な■にも童夢プロジェクトはスタートしたのだか■、もう突っ走■しかなかった。スーパーカー・ブームと「童夢−零」しかし当初は、水あめのプールを泳ぐ■うな抵抗感が足を引っ張っていたが、そんな頃、我々が童夢プロジェクトをスタートさせ■前には、ま■で兆しも見えなかったのに、世間では、子供を中心に急激にスーパーカー・ブームが巻き起こ■、下手した■、このブームに便乗してスポーツカーを作■始めた■うに誤解さ■そうなドンピシャのタイミングではあった。しかし、このブームが幸いした。そ■までの身内か■の懐疑的な視線は気持ちの上でもプレッシャーとなっていたし、経費もスムーズに出ていたわけではなかったが、この爆発的なブームの主役であ■スーパーカーを社内で開発してい■という事実が期待に繋が■、今まで見向きもしなかったHAYASHI RACINGの社員なども開発現場を覗きに来■■うになっていたし、社内的にも完成を急ぐべきという■うな意見も出■■うになっていたか■、このブームの効果は絶大だった。「童夢−零」というスポーツカーレーシングカー造■に疲■果てて世間か■はみ出していた童夢スタッフたちは、この全く新しいスポーツカーの開発にはそ■な■にのめ■込んでいたか■、夜を徹して開発への様々な取■組みが進め■■た。こ■はレーシングカーの世界の特殊な環境に■■が、F1などのコンストラクターでも、 「マクラーレン・ホンダ」とか「ウィリアムズ・ルノー」とか「ロータス・フォード」とか、車体とエンジンの世界は全く異な■分野であ■、本質的に、お互いの分野に深い関心は持っ

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